従う信仰
非難する者が全能者と争おうとするのか。神を責める者は、それを言いたててみよ。
ヨブ記40:2
ヨブは、患難が襲って来た当初、「何故、私がこんな患難に苦しまなければならないのか」と考えて苦しみました。
神は、どうして祈りに答えてくださらないのか、どうして自分をさばかれ、
悪者を栄えさせられるのかと考え、苦しんだのです。そのような彼に神は語られました。
ヨブ記40:4
ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。
私はただ手を口に当てるばかりです。・・もう口答えはしません。」
「イエス様を信じます」と言いながらも深い信仰になかなか入ることのできない人は、
人間の理論と思考を先に立てて、それに従っているからです。
聖書も、自分が受け入れることのできることは受け入れますが、
自分の考えに合わない所は受け入れようとしません。
しかし、そのうちにだんだんと様々な苦しみ、行き詰まりを体験することによって、
自我、考えが砕かれてくると、そして、聖霊に満たされると、理論や口答えがなくなって来るのです。
主に「従順のいけにえ」をささげるようになるのです。
主イエス様。私たちはしばしば人間の理屈と理論をもって、あなたの摂理につぶやき、逆らいます。
お赦しください。どんな時もへりくだって仕えることが出来ますように導いて下さい。
イエス様の御名によってお祈りします。