自衛隊体験記【8】
私が所属していた班の小隊長は石井さんという方だった。
色黒でとても日本人の肌とは思えない黒さだったが、
にっこり笑うその笑顔がとても優しく見るからにお人好しと言った印象だ。
年齢はまるで分からない。推定年齢は45歳。
それにしては小隊長だと出世しないタイプなのだろうか。
まあ、そんなタイプかも知れない。いいと思うよその生き方もありだよ。
今はもうとっくに退役軍人、どころか推定年齢90歳前後?生きているやら死んでいるやら。
今も生きているならぜひ再会したい一人である。
ところで、この小隊長と生活した数ヶ月の中で、とても楽しかった事があった。
季節はもう記憶の彼方で覚えていないが、多分11月ごろの天気の良い小春日和だったと思う。
富士山の裾野に出かけた時のこと。
みんなの前で自分の得意なことを披露するという、一体何の訓練か分からない課題が与えられた。
自分の番になったので、思い浮かんだのは、美空ひばりの「りんご追分」を歌うことだった。
突然言われた事だったので、本当は若者らしいJポップなどを歌いたかったのだが、
あまりに故郷に飢えていた?ために、とっさにこの選曲になってしまった。
ご存知の方はそう多くはないかと思うが、津軽のりんご畑の情景と少女の悲しい身の上を、
ひばりが歌うゆっくりとした民謡調のメロディは哀愁に満ちて、涙を誘う歌である。
伴奏があるからなお一層心に響くのだが、富士の裾野の電柱の1本も見当たらない場所では、カラオケの機械もあるはずがない。
そこで自分は、アカペラで朗々と歌ったのだった。
拳を効かせた歌の結果は大拍手!
石井小隊長のギラギラした二重と真っ黒な顔に銀歯がキラリ!と映て、拍手喝采で喜びを表してくれた。
他の隊員もあっけに取られたような顔をして、しかしやがて拍手をして自分を褒めてくれた。実に嬉しかった。
自分は新人隊員の中でも1、2番に年寄りだったので、”おっちゃん”とあだ名で呼ばれていた。
私とは1歳から6歳も離れた者もいた。
だからほとんどがまだあどけなさを残していたので、が自分にとって彼らは可愛い弟のような存在だった。
それにしても石井小隊長は、自分が子供の時から憧れる頼れる兄貴のような人だった。
嫌な訓練が多い中の束の間のレクリエーションだった。