自衛隊奮闘記【7】
束の間の夏季休暇を終えて御殿場の駐屯地に戻った私は、日々の訓練に明け暮れる毎日だったが、一つ嫌な訓練が待っていた。富士山の周りを一晩かけて1周する訓練である。非常にキツイ歩行訓練らしい。なにせ、夕方の6時板妻基地出発の富士山中腹西回りで翌朝8時目的地の小山?到着らしい。
詳しい日程は知らされない(まさか自分だけが知らなかった?)で出発。
ほとんどの隊員は小銃を肩に掛けて歩いていたが、自分は初めて見る「ロケットランチャーという、太い筒状のロケット弾を装填し攻撃する武器を背負わされた。
何の説明もなくただ重い武器を担いで歩き続ける。1時間もしたら日暮れとなり、辺りがだんだん暗くなって行く。8時ともなると真っ暗闇で、他の隊員の顔もよく見えない。
途中、少し休憩を挟みながら歩いたと思うが、真夜中になっても歩行は続く。
夜は眠るもの。夜通し寝ないで歩くのは決して健康に良くない。
12時を過ぎると体もしんどい。真っ暗闇の中、舗装道路ではない石ころだらけの山道なので、過去には途中で道路から外れて行方不明になった者もいたらしい。
みんな、まだ新兵で初めての訓練ばかりなので、班長(三曹)や小隊長らが時々声を掛けながら行方不明者がないか、体調不良の者がいないかなど、事故が起きないように注意を払っている。
2時、3時。長靴(ながぐつではなく、ちょうかと読む)と言う革製のブーツみたいなものを履いているので足が痛いし、疲労が溜まってもうどうにもならない。誰もがここから逃げ出したいという誘惑に駆られる。
しょっちゅう時計を見ることが多くなっていく。1時間がこれほど長く感じたことは今まで無かった。
3時半ぐらいになると、東の空が紺色から徐々に白み始め、そして富士の山頂から赤く染まり始める。しかし、極限に達した意識と肉体は憧れの富士が赤く染まってもそれを愛でたり感動する心の余裕が無かったことはとても残念だった。
この辺りが「青木ヶ原」という自殺の迷所、いや名所らしい。何でこんな所で自殺するのか、磁場の関係とか言われるが私は自殺の霊がウヨウヨいるのではないかと思う。
朝4時から5時、さらに増す眠気との戦い。もうどうでも良くなってくる。どこでも良い、このまま眠れたらどんなに幸せだろう。意識が朦朧として来た。
夜も明け、地平線から太陽が上って感動の朝を迎えた。これでやっと解放される!
えっ?まだ終わりじゃないの?ゴールはまだ先だった。それからがまた長かった〜。
午前8時ごろ、やっと目的地らしき演習場に到着。今度こそ終わりだ。
と思いきや・・・
朝食後、今度はどこの誰かわからないお偉いさんが、隊員の技量を点検して歩いて来た。そして自分のところでピタっと止まり、この武器はなんだね?と質問された。
「ロケットランチャーと言います。」そこまでは良かったが、「これはどうやって使うんだね?」
(聞いてねーよ!)えっ、あの、その、と武器を肩に載せたまでは良かったが、どこをどうするのかわからないで戸惑う自分を見て、こりゃダメだと言わんばかりの顔をされた。冗談じゃないよ。こっちは何の説明も受けていないだよ。と言いたかったが言えなかった。残念!悔しい!
こうして7、80キロに及ぶ夜間の富士山の裾野を歩く地獄の訓練は何とか終了。
やれやれ!