自衛隊入隊記【2】
約1週間、オリエンテーションが続いた。
少しずつ隊内の様子もわかって来て、何とかやって行けそうな感触を得た。
なぜか友達になったKは相変わらずで、脱出の機会を伺う毎日だった。
長距離走を苦手としていた私は、そこで良い指導者と出会うことが出来た。
私の身分は2等陸士。
その上が1等陸士、そして自衛隊でプロと言われるのはその上の3曹。
新潟出身だと言うハンサムな教官は3曹。
彼は日本人離れしたとても目鼻立ちがハッキリした好青年。
そして彼は長距離が得意だと聞いて、私の方から彼にお願いして指導してもらえることになり、
彼は快く承諾してくれた。
今、どうしてるんだろうな?
やはり、何でもその道のプロに教えてもらうことが大切だと知った。
お陰で自分のフォームを直してもらって、どんどん走れるようになって行った。
何をやっても三日坊主の自分だったが、人間やる気を出して頑張ればそれなりの成果が出るものだ。
毎日グランドを走るのが日課となった。もちろん自主練である。
他の隊員はほとんど自主練をしている姿を見かけない。
年長の私はとにかく体力を付けることを目標に苦しい練習に汗を流した。
そして、俄然、走るのが得意になっていった。
毎日の日課が、小銃の分解・組み立ての練習だ。
小銃と言うと、ポケットに入るような小さい拳銃を思い浮かべるかも知れないが、
そうではなく、長さ約90cmほどの肩にかつげるもので、これから始まる射撃訓練のために必須の科目。
よーい、スタートで一斉に工具を使って分解、そして組み立ての時間を争う。
自分は3番手ぐらいだったかな?
こうして、横須賀・武山駐屯地、前期教育隊の3ヶ月の訓練は終わりに近づいて来た。
思い出すのは、湘南海岸を軍事トラックに乗って走ったこと。(ケツが痛い!)
三浦半島の海岸や藪の山道を歩いたこと。
横須賀市内や歌になったあの城ヶ島に行ったことなど、今から43年前のことを、
昨日の事のように思うと言えば大げさに思われるかも知れないが、ついこの前の出来事のように思える。
3ヶ月にわたる前期教育隊に別れを告げる日がやって来た。
今度は後期教育隊に移る。
自分がどこに行きたいか希望先を調べられた、私の場合、候補地は新潟県新発田市か静岡県御殿場市と言われた。
どちらも故郷・青森には遠い。
帰郷することを考えると御殿場の方が時間的に早そうだし、第一、子供の頃から憧れまくっていた富士山の麓に行ける、
これは夢の実現なので、絶対御殿場だ!心で強く願えばその願いは叶えられる。
いや、祈ればその祈りは神に聞かれる。
その祈りが聞かれ、御殿場市にある第34連隊板妻基地に行くことが決定した。
同じ釜の飯を食った仲間と別れることは、やはり何とも言えない寂しさであった。
決して忘れられない青春の一コマである。・・・続く
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