私の人生【2】

S47年4月5日。季節外れの雪が舞う新天地。
学生生活の甘ったるい生活から
容赦なく社会という全く新しい環境に引き込まれてしまった。
まるでもらわれてきた猫や犬のように私は不安と恐れにおののいていた。
18年住み慣れた我が家から約1時間。とうとう始まる私の第二の人生の幕開けだ。
だけど、やったー!とうとうあのうるさくてしかたのない母から逃れられたのだ。
僅かばかりの所持品を持って、案内されたのは会社の車庫の二階だった。
古ぼけたセピア色のベッドが一つだけ置いてある部屋、古くても念願のマイルーム。
晴れて、憧れの商人?となった私は10歳以上離れた先輩と一緒に、車で官公庁や学校に行く外販の仕事をすることになった。
えー?聞いてないよ〜。
日本人離れした体格の良さで温厚な性格の社長は、やんわりと私に言った。
“まず、外商を通して商売とは何たるやを学びなさい。”
と社長自ら洋服の寸法の取り方や、お客様に売り込む方法などを熱心に仕込んでくれた。
仕事は朝8時から始まり、終わるのは夜の8時から9時ごろ。
それから今日1日の成果と商売の極意を学ぶ時間が短くて1時間。
その後やっと冷めたご飯にありつき、冷めかけた風呂に疲れた体を鎮める。
今だったら確実にブラック企業当確。
マイルームに帰るのは11時から11時半。
何もせずにベッドイン。
何が起こっても目が覚めない。
そして毎週日曜日は休みかと思いきや、本店の店番が当たる場合もあり予定が狂う。
入社2年目あたりから、店舗展開が始まった。
初めての店舗での接客はとても緊張した。
なぜかと言うと、目の肥えたお客様だと、自分よりもはるかに洋服の知識があるのでコーディネート、
つまり選んだ洋服に合うワイシャツ・ネクタイを選んでお勧めするのだが、
ど田舎で育った私の色彩感覚はまるでダメだとわかっていたからである。
店舗に配属された私は、お客様が入店すると条件反射で洋服の陳列棚に身を隠してしまい、
“いらっしゃいませ”と言わなければならないのに、声にならない。
そんな状態が3ヶ月は続いた。
やっと慣れた頃にお客様の方から私を指名してくるようになり、
仕事の楽しさもわかるようになっていった。
入社3年目には新しい店の店長に昇進した。
その頃はバブル景気で誰もが毎年給料が上がり、日本全体が好景気に沸き
いわゆる高度経済成長の波が地方にまで波及してきていた。
会社はその波に乗らんとしてさらに支店を増やしていった。
そして私は青森市の中心街にオープンする新店舗に転勤を命ぜられた。
入社した時の先輩が初め店長だったが、オープンして中々売り上げが伸びないため、
私が2代目の店長に任命された。
お客様獲得のために津軽弁を話さなければいけないとある方から言われていたが、
とうとう津軽弁を話すことなく標準語で3年間通したが、先輩より約2倍の売り上げをあげることが出来た。
しかし、時代が少しずつ景気後退局面に差し掛かっていた。
その頃、社長が病気のために経営を若い息子(現役の大学生)に譲らざるを得なくなって、
次第に経営も悪くなってきていた。
そんな状況を見ていた私は、入社当初、定年になるまでこの会社に勤めるぞ!
と決心していたのが、その決意も僅か6年で潰えようとしていた。
何があったのだろうか。
・・・続く