4本の矢
「見よ、子供達は主の賜物、胎の実は報酬である。
若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。
幸いなことよ、矢筒をその矢で満たしているその人は」 詩篇127
矢筒の矢として四人の子供を授かったことをこの上ない恵みとして感謝している。
一人目の子を産んだ後、ある老齢の牧師が
「沢山産んで貧乏して子供たちを育てなさい。
みんないーい子になるよ」とおっしゃった。
その言葉どうりか知らないが四人ともハングリーで個性的、頼もしく成長してくれた。
ふと、この子達に、泣いた事は?と自問した。
長女は高卒後、沖縄の宣教師宅で働くため旅立つ事になった。
子供を手離すのは初めてのこと、その日の朝次女が姉との別れに涙ぐんだ。
それを見たら母の私もセキを切ったように泣けてきた。
幼い時の姿が浮かんで自分でもびっくりするくらい涙が止まらない。
とうとうお岩さんのように顔が腫れて駅に見送りにも行けず、夫一人見送った。
娘は笑って行ったそう。
次女は前置胎盤で難産となり、何と1300グラムという小ささで生まれた。
帝王切開で取り出しすぐ助産師さんが赤ん坊を抱いて、長い廊下を小児病棟まで走り、保育器に入れたそうだ。
後から見に行くと他の子の三分の一の小さい頭が見えた。
無事に育つかどうかと言われて私は涙にくれた。
今はハンディがありつつも元気に過ごしている。
三人目は男子、高校卒業式の時背も高くなり立派に挨拶している姿を見た時、
回りの母仲間たちと思わず涙ぐんでしまった。
数年後、どうしても夢をつかみたいと、
全てを捨てて単身でカナダに飛んで行った。
私は自宅で飛行機の出発時刻、彼のために祈りながら涙した。
東京のど真ん中で働いていた末の娘は、
年に何度か帰省して田舎生活を思い切り満喫して元気に帰るのが常だった。
そんな娘がある時、駅のホームでしくしく泣き出した。
えっ!どうしたの、家ではそんなそぶりは見せなかったのに、
そんなに辛いなら行かなくても良いのにー、と言いたいけれどこちらも泣けてきた。
大都会で若い娘が一人、辛い事も多かろうにー
新幹線が出るまで娘は泣いていた。
こっちも帰りの車の運転が涙で困った。
充分な教育もしつけもしてあげられなかった親だったと思うけど、
今四本の矢がそれぞれの人生でひたすら真っ直ぐ、
的に向かって行く事を願い祈り続けている。
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