あなたは、赦(ゆる)せない人がいますか?
イエス・キリストの弟子たちはある日、どう祈ればいいかを
イエス様に尋ねました。
そこでイエス様は、祈りのサンプルを示されました。
「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうも与えてください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに
負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」
これは「主の祈り」という、クリスチャンなら誰でも知っていて
必ず暗唱させられる祈りです。
クリスチャンとは、キリストにつく者、またキリストを主と信じ
彼の言われる事に従う者です。
そしてキリストが父なる神にいつも祈られたように、クリスチャン
も祈る者です。
この祈りの後半に出てくる、「負いめ」ということばを今回お話し
致します。
「負い目」とは、相手に対する心の負担。また、「負債・借金」
という意味があり、「罪悪感」を感じることでもあります。
私が常々感じる日本人の共通点は、自分に対して罪を犯す人を
赦さない文化があるように思うのです。
例えば、自分の子供を殺されたり、あやめられたとき、裁判の
判決が勝訴だとしても“犯人を私は死んでも許さない。”という
ような言い方をする人がほとんどだったと感じています。
実は私も自分には全く非が無く相手が100パーセント悪いのだから、
その人を赦す必要はないと言う経験をしました。
相手から許して欲しいと言われたとしても心から赦すと言えたか
今でもわかりません。
確かに、愛する自分の子供を殺されたり、ひどい目に遭わされたら
誰だって相手を憎み、赦せない心になるのは当然だと思いますし、
親であれば相手にそれ相応の裁きを下して欲しいと思うでしょう。
私は今、牧師をしていますが、もし私の妻や子供が理不尽な殺され
方をしたなら、私も犯人を赦すことが出来るか自信はありません。
日本人の考えは、「やられたらやり返す」ではないでしょうか。
私のすぐ上の姉が二人の息子の子育てをしていた時、時代がいじめが
問題になって来た頃でしたが・・・
姉は息子たちに、「やられたらやり返せ、負けるんじゃない」と檄を
飛ばしていたことを聞き、とても違和感を感じました。
どこかのテレビドラマのようですね。そこに仕返しすることが正義だと
する思想があるから多くの視聴者の共感を呼んだのでしょう。
人の世界ではこれが当たり前で常識かも知れません。しかし、神の国の
文化はまったく逆です。
私たちの負いめをお赦しください。と先ず自分には責められる点がある
ことを知りなさい。と神は言われ、それを聖書は「罪」だと言われます。
そして、「私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦します」とある。
ですから、相手がどうあれ、先ずあなたが人を裁く資格があるかと神は
言われるのです。
さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに
、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量る通りに、あなたがたも量られる
からです。
また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の
梁には気がつかないのですか。・・・自分の目には梁があるではありませんか。
「梁(はり)」とは、古い日本家屋に見られる屋根や床などの荷重を柱に伝える
水平方向に架けられた柱のことですが、ちりと梁を対比されるほどあなたの人を
裁くその心を、神はすべてご存知なのです。・・・続く