白百合
先日、キリスト教会の告別式に参列してきました。
日本はクリスチャン人口が少ないのでキリスト教の葬儀に出席することは
一般的に少ないかもしれません。
お花と写真のみの簡素な祭壇、焼香や読経はありません。
讃美歌と、牧師の祈りとお話し、献花や挨拶などで終わります。
キリスト教は死を、天国への凱旋と捉えますので悲しみの中にも明るさがあります。
もちろん、故人との別れは辛く身近な方であればあるほど涙と哀惜の念は深いでしょう。
でもそれはいっときであり、やがて苦しみも涙も無い天の御国で再び会えるという希望があります。
何よりも、永遠のいのちがイエス様によって約束されているという確信があります。
「日本人は、死を『亡くなる』と言いますが本当に無くなるのでしょうか」
と韓国人の牧師は言いました。
人間の肉体は確かに土に還ります。
しかし存在が無になるのではなく、人間の霊と魂は死後神の前に立たなければならないと聖書に言明されています。
人間をお創りになった神は、人間を深く愛し、人が地上にあっても、地上のいのちを終えても、救われる道を備えて下さいました。
それは
「わたしは道であり、真理であり、命です」と言うイエスキリストの道です。
「わたしは羊の門であり、羊のために命を捨てる」と言うイエスキリストの門です。
誰でも、この道とこの門を通るなら救われるのです。
一方、滅びの道、滅びの門もあります。
御自分の死を持ってこの滅びの門を閉じられたイエスキリストの愛を
是非多くの人に知っていただき、命への道を選んで欲しいと思います。
写真の前に飾られていた、白い百合の花を頂いて来ました。
今、永遠の安らぎと平安の中にいる故人を偲んでいます。
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