地震
今年はあの大きな被害をもたらした東日本大震災から十年目です。
あの日、当地も揺れは大きく長かったけれど、
被害はあまり無く停電が三日続いたぐらいで済みました。
私は、それより大きな地震を今から五十年ほど前、
中学三年生の時経験しました。
今のように地震の避難訓練など無い時代でした。
午前の授業の休み時間にそれは突然起きました。
気付いた時、私は外の体育館の脇道を
必死で正面玄関の方に向かって走っていました。
高台にある学校の地面はごう音と共に揺れていて、
体育館の上の方にあった窓ガラスが割れて頭上に降ってきました。
間一髪のところで逸れたものの、その時死にたくない、
まだ死ねない、と心底思ったことを覚えています。
揺れは収まりましたが校舎は危険な状態なので
教室には戻らずそのまま下校と先生方から指示があり、
中一の弟と共に家に急ぎました。
働いていた両親も無事戻りほっとしたものの、
家の中はタンスや本棚、人形ケースなどが倒れて
滅茶苦茶になっていました。
それからは、余震と恐怖との闘いでした。
大きな余震が繰り返し起こりその度に
外に飛び出し不安で胸が苦しくなりました。
夕方になり母が食料を集めて、今のうちにご飯を食べておきなさい、
と言ったけどどうしてものどを通りません。
自分の足元の土台である、動くはずのない大地が
こんなにも揺れ動くなんてー
私たち人間は自然災害の前には
全くこころもとない存在なんだと思いしらされました。
又、私はこの災害で「流言飛語」という言葉を知りました。
というのは「夜、もっと大きいのがくる」とか「何日の何時頃くる」
という噂がまことしやかに広まったのです。
そんな!この地震は誰も予測出来なかったのにどうしてそんな事が今わかるの?
と不思議でしたがやはり不安でした。
「流言飛語」は恐怖が作り出すお化けでしょう。
その後、学校が再開した時、地震発生時、自分が外ににげだしたのは、
多分、この窓だとわかりましたが何度試しても、
その窓を再び跳び越える事は出来ない高さでした。
今でも教室で地震を感じて、窓から逃げた瞬間の事は
記憶からはスッポリ消えています。
思い出すのは体育館の脇道とガラスの破片に身をすくめた事だけです。
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